「機体の中に雨が降る」
これまでの“宇宙こぼれ話”とは少々趣を異にするが、既に時効となっていると思われるロケットの打上げ作業で実際に経験した不適合事象の一つである主題について以下で紹介しよう。
それは、昭和60年に行われたH-Ⅰロケットの地上総合試験用ロケット(GTV:Ground Test Vehicle)を用いた総合整備作業(注記1)の中の“発射リハーサル”時に発生した。
発生した状況は、付図―1に示したH-Ⅰロケット2段推進系システムに液体酸素と液体水素を充填し始める頃から発生したもので、同図のエンジンセクション・アダプタセクション(以下、段間部と呼ぶ。)の上方部から下方部へ向かって、多くの箇所から水滴が勢いよく流れ落ちてきて、まるで機体の中に雨が降っているような状況になった。
これは、段間部内にリハーサル専用に準備された水素防爆型の小型カメラの映像で分かったもので、その映像は打上げ隊が打上げ指揮を行う最前線の発射管制室に送られてきたものであった。
発射管制室の打上げ隊関係者は、この映像を見て吃驚したが、「推進系システムのタンク、配管、機能部品等は断熱が施されているものの複雑な形状であるが故に不完全なところがあり、液体水素の充填に伴いこれ等断熱の不完全部分で空調の窒素ガス(注記2)が液化して滴下しているものである。」との判断から、リハーサル作業は粛々と続けられた。
ところが窒素ガスが液化したものであれば常温に戻った機体からは蒸発してなくなっている筈であったが、推進薬を排出した後のリハーサル後点検で機体の点検を行ったところ、この段間部下部の1段タンク周囲に約50mm深さ(約5~6リットル)の水が溜まっているのが発見された。
一方、このGTV作業の当日、H-Ⅰロケットから始めて導入された自動カウントダウン・シーケンサー(注記3)の不適合で作業は大幅に遅れ、そうこうしているうちに天候が急変し、近くの町(上中町)の記録で7時間に105mmの降雨量を記録するほどの雨が降ったため、高所作業が出来なくなり機体を保護することが出来ず、機体は一晩中雨の中におかれたままとなった。
そこで、当初はこの雨が機体内に侵入し、水溜りを作ったと考えられ処置が計画されたが、機体構造は外部から雨が吹き込む様な設計はされてなく、雨の侵入は皆無ではないが溜まった量が多すぎるとの疑いから他に原因が無いか調査したところ、空調設備に問題があることが分かった。
即ち、(注記2)にも記した通り当該空調は、整備期間中は空気空調であり、打上げを前にした推進薬充填開始前からは窒素ガスに切り替えられていた。
そして、その供給系統の概要は付図―2(改修前)のようになっていた。
付図―2(改修前)を見てもらって分かる通り、窒素ガスの空調系統への導入箇所が空気空調の除湿機の上流側にあったため、空気空調使用時の空気中の水分を除去した水が溜まった除湿機の中を窒素ガスが通って機体へ供給されていたことが明確になった。そのため、乾燥窒素ガスと思っていたものがこの除湿機内で相当量の水分が窒素ガス中に混入し、機体へ供給されていたことが分かった。その結果、窒素ガスのみならず、これに含まれた水分が冷却された配管等の断熱材表面で結露し水滴となって機体内に雨を降らせたのであった。さっそく打上げに向け空調系統の窒素ガス流入箇所の改修を行い、付図―2(改修後)の如くの形態に変更した。その結果、次号機以降では多少の滴下(これは液体窒素)はあったものの前述の状況は解消された。
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(注記1)
ロケットと発射設備等との機械的/電気的整合性の確認と打上げ隊の訓練を目的とした作業で、打上げ本番と同一の機体、設備、要員、手順書を用いて“機体の組立”から、“整備作業”及び1段エンジン着火直前までのカウントダウン作業を本番と同等のスケジュールで行う“発射リハーサル”の各作業から構成されていた。 - (注記2)
段間部空調の運用は以下の如くであった。
機体整備作業時:
空調の目的;機体内環境保全、流体;空気、風量;約10m3/分、温度;約20度℃、湿度;40%~60%
機体カウントダウン時:
空調の目的;段間部内のイナート化と温度環境保全、流体;窒素ガス、風量;約20m3/分、温度;約50度℃ - (注記3)
自動カウントダウン・シーケンサー:
打上げ時刻の約200秒前から1段/2段の全系統を対象に打上げ時刻までの各秒時毎に必要となる操作をコンピューターのシーケンス制御機能を用いて制御すると共に操作した結果が正常であることの監視を行うソフトウエアを内蔵した装置。
H-Ⅰロケットの前のN-Ⅰ/N-Ⅱロケットでは、2段の推進薬がストラブル(Storable)な推進薬(酸化剤:N2O4、燃料:エアロジン50)であったため機体へのこれ等推進薬の充填は、打上げ前日までに完了させることが出来た。従って、打上げ当日は2段推進系の作業はなく、1段のみの作業であった。
これに対しH-Ⅰロケットの場合は、2段にストラブルでない液酸/液水を用いたシステムを導入したため、2段の作業と1段の作業が打上げ直前に集中することになり、打上げ隊員がこれ等の作業を手動で行うことが不可能となったため、この装置が導入された。