2001年宇宙の旅・静止放送衛星・ベルリンの壁崩壊
アポロ11号が月面に着陸する1年前、1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」をご覧になった方も多いと思います。映画の出だし、争っていた類人猿が、棍棒のように武器としていた大腿骨を放り上げたとき、それが空中で宇宙船へと変化していく、まさに類人猿からヒトへと進化をしていくのを象徴するようなシーンが印象的でした。あるいは宇宙船のすべてのシステムをコントロールしている人工知能コンピューター「HAL(ハル)9000」が、船外活動から宇宙船内に戻ろうとする宇宙飛行士に反乱を起こし、入船を拒否するシーンや、それに対して宇宙飛行士が非常手段を使って船内に入り、「HAL」の主電源を次々に切っていくと「HAL」がそれに対し電源を切らないように懇願するシーンが思い出されます。
この映画は、「時計じかけのオレンジ」やトム・クルーズ夫妻(当時)主演の「アイズ ワイド シャット」で有名な巨匠スタンレー・キューブリックが製作・監督をしています。残念なことにキューブリック監督は「アイズワイドシャット」の公開を待たずに1999年に亡くなっています。
この映画の構想と脚本をキューブリック監督と共同で行ったのがSF小説家アーサー・C・クラークです。クラークは映画の完成後、小説版「2001年宇宙の旅」も出版しています。クラークはSF小説愛好家のなかでその名が知られていましたが、この映画と小説で一層有名となります。
もともと宇宙関係者の中ではクラークは、次のことで知られていました。それは第二次大戦が終わった1945年に英国のラジオ専門誌10月号に、人工衛星を利用して全世界にテレビ放送を行うというアイデアを世界で初めて発表したからです。高度3万6千キロメートルの静止衛星軌道に放送衛星を3基打ち上げ、それぞれ中継できるようにすれば全世界をカバーできるテレビ放送網ができることを提言しています。
赤道上、高度3万6千キロメートルの軌道を東方に回る人工衛星は24時間で地球を一周し、地上からその衛星を見た場合、地球の自転と同期しているため、あたかも静止しているように見えます。(実際には、静止衛星はその軌道上を秒速3kmで回っています。)その軌道を静止衛星軌道、衛星を静止衛星と呼んでいます。またこの軌道のことをクラークの名をとって「クラーク軌道」とも呼んでいます。クラークはもともと英国空軍のレーダー技師で通信の専門家でもありました。
クラークはこのアイデアを発表の際に、これが実現した場合の影響について予測しています。『すべての人は、好むと好まざるにかかわらず、隣人同士になるのである。検閲は政治的なものとそれ以外のものとは問わず一切不可能になる。空間から降ってくる電波を妨害することは、星の光をさえぎること同様、ほとんど不可能である。・・・・・人工衛星によるコミュニケーションの自由は、究極的には地球全体の文化的、政治的、道徳的風潮に圧倒的な影響をもたらすだろう。』(クラーク著「未来のプロフィル」より)
さてこのことが現実となったのが、予測から44年後の1989年、ベルリンの壁崩壊の年です。この年の2月、ルクセンブルクの民間衛星放送運用会社「SESアストラ(Societe Europeenne des Satellites-Astra)」が通信と放送の融合型衛星として打ち上げたアストラ衛星で放送を開始。それまでの大きなアンテナでなく60センチから1メートルのアンテナでも東欧で受信が可能となりました。同衛星の軌道位置、東経19度、ハンガリーの首都ブタペストの真南、赤道上空3万6千キロに向ければ映像が受信でき、受信機も大量生産され安くなりました。放送の中には、映画チャンネルなど契約をしなければ見られないものもありましたが契約しなくても見られるニュースや音楽、スポーツなど英語やドイツ語の番組が盛りだくさんありました。そこに飛び込んできたのが同年6月の中国天安門事件の映像で、ニュースはビデオにとられ、次々に市民の間で回さました。東欧の激動が始まったのです。(徳久勲著「情報が世界を変える」より)
さらに8月、ピクニック事件と言われる歴史的事件が起きます。これはオーストリアに半島のように突き出たハンガリー領ショブロンで開かれた集会に、参加した1000名ほどの東ドイツの人々が、なんら制約を受けることなく、オーストリアに無事脱出することができたことです。この事件は瞬く間に衛星放送などのニュースをとおして東ドイツに伝わり、更に多数の人々がハンガリー、チェコスロバキア、オーストリア経由西側に亡命することとなりました。ついには東ドイツ・ホーネッカー政権は、ソ連のゴルバチョフ政権が進める「ペレストロイカ」政策によりその支援もなく、なす術もなく10月に退陣、そして11月9日のベルリンの壁崩壊に継っていったのです。まさしくクラークの予測通りでした。
ところでアストラ衛星のように、地上の中継局を通さないで衛星からの放送を、家庭や事務所の小型アンテナで直接受信する方式を直接衛星放送といいます。これに対してケーブルテレビ局などでの大型アンテナで一度受信後、各家庭に光ケーブルなどで放送を分配するのを間接衛星放送といいます。それぞれメリット・デメリットとがあり現在両方式とも使われています。
世界で最初に直接衛星放送を行ったのが、日本の実験用中継放送衛星「ゆり(BS)」です。1978年のことです。この衛星の実物(予備機)を茨城県つくば市にある宇宙航空研究開発機構・筑波宇宙センターの展示館(入場無料)でご覧いただけます。ぜひ一度宇宙センター展示館にお立ち寄り下さい。
2011.11.25 丹尾 新治